投稿

7月 13, 2014の投稿を表示しています

種を蒔く人のたとえ

イメージ
管理人MあらためSです! 今日から時々松本先生の原稿を掲載して参ります。 そこでMだと勘違いされてもいけないのでSに変更した次第です。 ということで更に充実したパウロ教会のページを これからもよろしくお願いします! ☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆☆★☆☆☆☆★ マタイによる福音書第13章1-9、18-23節 このたとえ話しは、人々にイエス様は「種を蒔く」という言葉を使って “神さまの支配”について説き起されています。 当時のパ レスチナの農法は、私たちには簡単素朴に見えるのですが、 種をまず蒔くということから始まり、それからその後、耕したようです。 ですからまかれた種の中には、実を結ばずに終わるものもありました。 それでも農夫は実りを信じて種を蒔き、忍耐強く実りを待ったんだそうです。 このたとえ話は当時の農法を熟知している人々に「神さまもこの農夫のように イエス様を通して蒔かれたみ言葉が実を結ぶのをじーっと待っていらっしゃる のだよ。」と語っているのです。 「種を蒔く」のは神さまです。(キリスト教会の人は、伝道する時によく 「種蒔きをする」と言いますが、誤解しやすい言い方です。) 神さまは多種多様な種蒔きで、実が結ばないものや、 良い麦の中に毒麦があった(マタイ13:24-30)としても、 忍耐強く、希望をもって実りを待つお方なのです。 私たちは、神さまと共に、 実りを忍耐強く希望をもって収穫を待ち望む者なのです。 岐阜聖パウロ教会 管理牧師 司祭 パウロ 松本 正俊